佐々木敦也の経済千思万考
第4号 佐々木敦也の経済千思万考
【「21世紀の資本」:アベノミクスに潜む格差論】 2014.12.22
「r(資本収益率)>g(産出と所得の成長率=経済成長率)
≪資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出す≫
格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何によって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は、今後どうなるのか? 18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、世界的ベストセラー。」
(「21世紀の資本」トマ・ピケティ (著) みすず書房 2014 内容紹介より)
「格差是正ブーム」の立役者、パリ経済学院のトマ・ピケティ教授の著書今春刊行の「21世紀の資本論」は、相変わらずの好調な売れ行きのようである。邦訳版も刊行された。
そのピケティ教授の主張の核心は(1)資本・所得倍数(ストックである資本をフローの所得で割った比率)の上昇(2)富の物差しである資本と所得が資本家に集中する格差拡大(3)格差大国となった米国の歪(ゆが)み−の3つの視座からなる。詳しい内容は、読者各位が目を通して確認されるとして、ここではアベノミクスの象徴である大胆な金融緩和(昨年4月、今年10月)がこの日本における格差を本格化させるのではないか、という点について少し考えてみたい。
まずは、黒田日銀の核心とは何か?それは、中央銀行によるマネー供給の増加⇒現金残高の過剰⇒予想収益率の高まる債券から順に、株式、不動産等諸々の資産価格が買われて上昇⇒設備投資・個人消費拡大⇒景気押上げを図る、というものである。つまり、大規模緩和によって大幅な円安や株高・債券高をもたらし、企業の生産活動を刺激することによって、雇用や賃金に影響を及ぼし、最終的には消費者物価を押し上げたい、というものだ。そしてキーワードは「資産価格上昇」ということにある。
黒田日銀の行動で確かに、円安・株高・債券高は実現した。しかし、マクロとミクロの乖離が気になる。例えば雇用と物価をみてみると、失業率が下がり、人手不足が全体に広がっているのに、実質賃金の上昇はみられないこと、求人状況も業種感、地域感のバラツキが大きく、ミクロレベルでの雇用市場はまだまだ厳しいこと、そして、7年4カ月ぶりの一時1ドル=120円台となる円安で、輸出企業を中心に収益が拡大する一方、中小企業の経営者の多くは消費増税の影響が色濃く残り、原材料高や人手不足と相まって「業績は苦しいまま」と厳しい評価を示していること、等々である。つまり、アベノミクスの恩恵を受ける明るい部分と暗い部分の二極化がはっきりして格差が広がっているようにみえるのだ。政策側は、波及に時間がかかる(一定のタイムラグ)という説明をするがが本当にそうなるのか。
アメリカではリーマン・ショック後、「1%の人が99%の人を支配している」という標語のもと、富の象徴である、「ウオール街を占拠せよ!」とのデモがあり、格差社会が批判された。過度の富の集中で、アメリカ経済の生んだ利益のうち95%は上位1%の富裕層が手にし、中間層の脱落により需要危機を招いたといわれる。格差拡大の最大理由はまずは「技術革新」。つまり、企業が働き手の技能を高める代替として、生産の国外移転、機械化無人化・ロボット化で対応した結果が格差を広げた。そして次に「資産価格上昇」。ピケティが指摘したように、資本(株式投資など)による収益が労働対価を上回る傾向が顕著になり、資本を握る少数への富の集中に拍車がかかった。要するに資本を持てるもの者と持たざる者、資産家と労働者の差が開く一方ということになったのだ。そして貧困層ほど教育機会が不十分になるというマイナス面が広がった。なるほどマルクスの「資本論」を想起させる指摘である(因みにピケティは膨大な税務統計を集めて、それを加工・分析し、200年というスケールで具体的な数値を大量に用いてに不平等の実態を明らかにした。そこが観念論的なマルクスとは大きな違いといわれる)。
ピケティはこの打開策として、資本収益率を下げるべきだとし、国際協調のもとで資本課税の強化を主張している。しかしながら、この考えに対しては「所得を創出するのはそもそも資本ではないのか。累進課税でその資本を封じ込めたら元も子もない」という批判も多い。
アベノミクス・黒田日銀の目指す低金利・円安・株高という「資産価格」政策、規制緩和などを通じた勝ち組中心の成長政策などへの評価は難しいところがあるものの、同じ政策を先行したアメリカにおいては、マクロ的には功を奏し「グレート・レセッション」から真っ先に脱出しそうな気配となっている。
今月14日の衆院選で、国民は今後4年間でのアベノミクスの成果にかけることを選択した。しかし、それは同時に国民が二極化経済を選択するということであり、格差拡大を受け入れるということだ。今後日本に訪れる格差拡大の中で、国民の大多数を占める中間層、貧困層に属する側は、改めて政府に何が問題で何を求めるべきなのか、そして重要なことはどう生きるべきなのか、個々人が真剣に考える時期に来たように思う。単に大衆の不満という形で抵抗しても無意味に近いのである。
かである種の信用問題を実際に引き起こすようだと、「逆オイルショック」として世界に衝撃が走る。しばらくはWTI原油の価格の動きから目が離せない。
以上